夢を果たせずに今年ももう終わるのかなと、思ったりもする。
私とゲイ小説の出会いは高校時代に遡る。
高校時代、初めて男性同士の恋愛小説に触れたのは『JUNE』という雑誌だった。いわゆる耽美小説、「やおい」というものだ。
田舎の書店には『さぶ』だの『アドン』だのゲイ雑誌を置く書店はなく、『JUNE』から『小説JUNE』へと読む本が移行し、様々な特集を読む中でもろもろのゲイ雑誌や二丁目の存在を知り、いろいろと興味も湧く中、いつも行っていた書店で『サムソン』をたまたま見つけ、一度だけ購入。このとき初めて本物のゲイ小説に触れた。
当時は『JUNE』一色で染まっていた私のゲイ脳だったので、『サムソン』の内容のグロさに引きつつも初めてゲイ雑誌を手にした怖さとそれと同じくらい湧き出てくる未知の世界への好奇心とで胸がいっぱいだったのを覚えている。
そんな中、『小説JUNE』で海外のゲイ小説が特集されたことがあった。アメリカを中心としたゲイ小説(洋書)である。
社会人になると、私は当時高田馬場にあった「洋書ビブロス」や銀座の「イエナ書店」でゲイ小説を買い漁ることとなる。
今でもスラスラ読めるわけではないが、アメリカのゲイ小説(当時は「Plume Fiction」が有名だった)に触れるにつれ、こんなのを自分も書けたらといつしか思うようになっていた。
そうして、27歳の時にやっとこさ二丁目デビューを果たす。
二丁目に出入りするようになると、ゲイ小説のみならず、ゲイの洋雑誌にも興味を持ち、新宿という場所柄、紀伊國屋書店に足を運ぶことも多くなっていった。
遅咲きのゲイは数少ない恋愛経験を積みながら華やかなゲイ・ライフを夢に描くのだが、そうして同時にゲイ小説を書きまくり、日本でのゲイ小説の地位を確立しようと奮闘したいと思うのだが、社会の波に揉まれ、その夢も現実時間を取れないことから、次第に遠のいていく。
それでもふと我に返り、自分を振り返ったとき、常にたどり着く先は、やはりゲイ小説を書きたいという思いだった。
ところが、長年の社会人生活が祟ったのか、ついには体を壊してしまい、東京を離れることとなる。世が世なら、私は既にこの世にはいない。
田舎暮らしに舞い戻ったものの、また東京で頑張ろうと思うのだが、既に私も四十路間近だった。
もう駄目かもなと思いつつも、一度だけでもいいから書いて応募してみようと思ったのが『バディ』だった。掲載されなかったら、夢を諦めようと心に決めていた。2003年夏のことだった。
生まれて初めて書くゲイ小説。それもアダルトもの。
不安はあったが、正直、小学生の時から作文は好きだったので、この時もそんな昔を思い出し、こうしたらいいかなとか思いながら書き綴っていった。
今もそうだが、私が小説を書くときは、大まかな内容しか決めずに書き始める。なので、詳細なプロットなど一切決まっておらず、書き進めながら決まっていくので、『バディ』編集部の小説担当の方に内容を先に問われた時には、大まかなことしか伝えることができなかった。要は結末は自分でもわからないから。
『バディ』に小説を初投稿をしたものの、掲載には至らなかった。
と、思った。
その翌年2004年に私の初小説『サク』が登場することとなる。
既に諦めていた私だったが、掲載後しばらくして、やはり夢を捨てきれなかったのだろう、ネットで橘亨を検索したら『バディ』にヒットして、掲載されていた事実を初めて知ったのだった。
当時、西野浩司氏(『新宿二丁目で君に逢ったら』の著者で、洋書以外に私が初めて拝読した日本人ゲイ作家)と電話でやりとりをし、遅ればせながら原稿料を頂戴した。
更に嬉しい事に、西野氏から再び連絡を頂いた時は、『読者賞』受賞のお知らせだった。
ド素人もいいところでありながら、また学生時代に殆ど読書習慣のなかった私が、このような形で認められ、ゲイの人気雑誌である『バディ』に掲載されたことは、本当に夢じゃないかと信じられなかったが、絶対に夢を諦めてはいけないと改めて強く感じた瞬間でもあった。
現在、介護等々に追われ、編集部宛ての年賀状で「より一層創作活動に励みます」ってなことを書いておきながら、なかなかそれもままならずにいる。
ただ、こんなのはいいかもと思うものは、ノートに書き溜めてはある。無論、大まかな内容だけだが。創作途中にあるものも何編かある。
案を書き留めたものをみな描き下ろしたら、一体どれだけの本ができるだろうと思ったりもするのだが、所詮素人にほんのちょっと毛の生えた程度なので、書けるだけの筆力が無いことは百も承知だ。また、書いたところで、プロやベテランさんに遠く及ばないことも重々承知之助である。
気がつけば五十路突入である。
それでも、万の時間を費やしてでも、やはり書きたいものは書きたい。たとえ世に売れることがなくても、今はこのようなネット上での公開も可能だから、読んでくれる人がいるなら、やはり書き続けて、一人でも多くの人に、ゲイっていいねって思ってもらいたいのだ。
ゲイって素敵。
ゲイって幸せいっぱい。
ゲイで生きることは人それぞれにいろんな問題を抱えているわけだが、どんなすったもんだがあっても、やっぱ俺ゲイで幸せだったよと笑って死にたいしね。個人的には、何度生まれ変わってもゲイでいいとさえ思っているし……。
『深夜食堂 第二十二話』で、漫画家を諦めて都落ちする青年の姿が描かれていた。
俺、漫画しかないから、それを取ったら何もない、と。
それに対して、めしやのマスターが言った言葉。
何もかも失って残ったものが漫画じゃないのかい?
このシーンに、私は自ずと自分を重ねていた。
そうだな。
自分も、同じなんだよなと。
残ったものが、ゲイ小説への憧れ。ゲイ作家として世に認められること。
今度こそ、じっくりとコツコツとこの夢のために万の時間を費やしていきたい。
本当だよね。
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